おかめやのご紹介 ~ エッセイ・第2章

エッセイ・目次
目  次 『おかめや』の創業から現在まで ~ 2023年9月『おかめや』 3 代目 佐藤 高志 記す

■ 第1章:3代目、誕生からおかめ(女将のこと)との運命的出会い
■ 第2章:東京から帰省・結婚、『おかめや』を継ぐ(本ページ)
■ 第3章:女将と二人三脚繁盛記
第2章:東京から帰省・結婚・『おかめや』を継ぐ
Ⅳ ~ Ⅴ Ⅳ 東京生活の後帰ってきて稼業を継ぐ。

 後に福島高校に進学しますが高校生活には全く馴染めず、学校に行くのは美術部の部屋で画集を眺めたり彫塑をしたりタバコを吸ったりする為のような、学校に行きたくないので、2 年の時半年間休学して稼業の食堂の仕事を手伝いました。バイクで出前をしたりラーメンを作ったり。

 その頃美大受験を目指していた典子とたまに会う機会があり、その時の印象は、昔と違って少しあか抜けてきて可愛くなってきたんじゃないというものでした。

 高校生活 3 年目の 1 月福島高校を非常に劣等な成績で中退し、絵を描く為上京いたします。
 東京での7年間のフリーター生活については割愛しますが、ある日親父の親友古市義孝氏から長文の手紙が届きます。
 その手紙には、亀治ジイチャンと親父が苦労して頑張って作り上げてきた『おかめや』をここで終わりにしてしまうのはしのびない、時がきたら帰ってきて稼業を継ぎなさいという事が切々と書かれていました。
 その手紙に思うところがあり昭和 53 年春、稼業を継ぐ為東京生活を切り上げ帰ってきます。




Ⅴ 3 代目おかめとの結婚・バードランド開店

 東京での7年間色々な仕事を経験しましたがなぜか飲食店は未経験だったので、親父が当時一番信頼していた峰亀の斎藤武二専務(現会長)の元で1年間主に接客の見習いをした後、54 年 3 月『おかめや』へ入ります。
 調理については全く未経験なので、パートのおばちゃん達に揉まれながら 1 から習っていきました。

 店に入って暫らくした頃、アメリカ留学から帰国して郡山のうすい百貨店の販売促進課に勤務していた典子がそばを食べに来店します。
 それからの事は省略しますが、色々あった後やった後 56 年に結婚いたします。
 結婚して暫らくは郡山まで通勤して居りましたが、第 2 子長男和敬の出産を機に退社していよいよ 3 代目女将としてスタート致します。

 暫らくして福島市から当時福島飲食行組合の組合長をしていた親父の元に、岡部のゴミ焼却場の焼却熱を利用した温水プールサウナ浴場を備えた施設を作るので、その売店レストランを誰か組合員にやってもらえないかと打診がはいります。
 そこで組合員に諮りましたが自店が忙しく誰も手を挙げるものがいなかったので、困った親父は販促経験も豊富な典子に白羽の矢をたてます。
 福島市の温泉保養施設「ヘルシーランド福島」オープンと同時に、目の前の白鳥飛来地や小鳥の森が近い事もあって、「バードランド」という店名で軽食レストラン・売店・スイム用品・おみやげの店をオープン致します。
 プールに入るのにスイムキャップが必携な事もあり、用意した 500 枚のキャップは 3 日位で無くなり、次の入荷まで市内のスポーツ用品店を廻り頭を下げて、倉庫にある在庫のキャップを放出してもらった事は今では苦い思い出です。

 『おかめや』は昔から借家住まいで商いをしてきており、「いつかは自分の店を持ちたい」というのは代々の主の悲願でした。